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松崎慊堂の弟子であり、水野忠邦の家臣であった幕末の碩儒塩谷宕陰(世弘)の著書。
奇本!/[隔カ論・塩谷宕陰・安政6年・17丁]/松崎慊堂/江戸・愛宕山
冊子=縦258×横167mm
書込みが、一ヶ所あります。
表紙や題簽に小虫ナメがあります。
内は、とても綺麗です。
宕陰(1809~1867)は江戸時代後期の儒学者で、江戸愛宕山下で生まれた(一説には山形)。名は世弘(せいこう)、字は毅候(きこう)、号を宕陰といい、九里香園の別号もある。幼名を甲蔵と称したという。父桃蹊(とうけい)の教えをうけ、父の死後学塾を開いて教育を業としたが、貧しく、これを見かねた松崎慊堂(まつざきこうどう)が水野忠邦に推挙して、これに仕えた。水野忠邦が老中になるにおよんで、天保の改革に参画した。アヘン戦争のニュースを聞いた彼は、その原因を西欧列強の侵略であるとし、海防の急務を説き、軍艦の建造を建言した。しかし、容れられず慶応3年(1867)8月28日、年59で没した。著書には『隔カ論 (かっかろん)』『阿芙蓉彙聞(あふよういぶん)』『籌海私議(ちゅうかいしぎ)』その他多い。
[棚箱右三]